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Splatoonも発売されて2年間が経ちました。全く新しいゲームとして誕生してから、大人気コンテンツとして成長するまで、いろいろなことがありました。そんなスプラトゥーンの歴史を簡単に振り返ってみます。
スプラトゥーンの2年間を大きく4つに分けて解説していきます。アップデートによる変更、流行のブキ・ギア・編成に加え、当時活躍していた主なチームのメンバーと特徴などを、自分のわかる範囲でまとめていきます。もし、間違っている箇所や補足などありましたら教えてください!
とーか@イカした医学生 (@toka_spl) | Twitter
目次
スプラトゥーンの歴史
試射会
わかばシューター、スプラシューター、スプラローラー、スプラチャージャーの4種類、ステージもハコフグ倉庫、シオノメ油田のみだったが大盛り上がり。サーバーが重くなって接続できない人も多かった。
ニコニコやYouTubeですでに他ゲーで有名だった実況者を中心に実況プレイ動画が出まくる。この動画を見て、購入することを決めた人も多い。(私もその一人)
ちなみにこのころのローラーはコロコロするもの。「ローラーにひかれた!」という表示だらけだったとか。相打ちはデフォ。
発売
5月、待ちに待ったスプラトゥーン発売。ステージはハコフグ倉庫、シオノメ油田、アロワナモール、デカライン高架下、Bバスパークのいわゆる初期ステ5つ。ブキもかなり少なかった。
レギュラーマッチのみ、ランクも20が上限。新しいゲームシステム(インクとか)ジャイロ操作にみんな慣れてなくて、今にして思えばカオスな環境。とても楽しい。ロラコラとかホッカスとかのエイムがあまり必要ないブキが使われていたと思う。
シンさん、アブさんとかの有名実況者の実況動画が毎日のように投稿されていた。
6月
アップデート情報
追加 ガチマッチ、第1回フェス(ごはんVSパン)
ステージ ホッケふ頭、モズク農園ネギトロ炭鉱
ブキ N-ZAP85、パブロ、シャープマーカー、L3リールガン、リッター3Kカスタム、ノヴァブラスター、カーボンローラー、デュアルスイーパーカスタム
ガチマッチ(ガチエリア)が解禁される。ランク10以上のイカしたイカ達だけが参加できる白熱した戦い。2年たった今でも、このガチマッチの魅力に取りつかれたイカは多いだろう。まだS帯はなく、A+99が最高だった。
6/13には第1回フェス「朝食はごはん派VSパン派」が開催された。初めてのフェスで期待されたのだが、パン派が少なくマッチングしない、などのトラブルが相次いだ。サーバーが混雑するほどの大盛況だったのは間違いない。
このころから、トークだけでなくプレイの質も動画投稿者に求められるようになってきた。スプラの王「胎児」さんが初めて投稿したのは6/25。圧倒的プレイで当時のプレイヤーに衝撃を与えた。(このときの胎児さんのインパクトはマジですごかった、スプラが別ゲーに見えた)
7月
アップデート情報
追加 ガチヤグラ、第2回フェス(赤いきつねVS緑のたぬき)、第3回フェス(レモンティーVSミルクティー)
ステージ タチウオパーキング、モンガラキャンプ場
ブキ ボールドマーカー、96ガロンデコ、ホクサイ、N-ZAP89、3Kスコープ、シャープマーカーネオ
調整 ダイオウイカはじかれ増加、イカニンジャ速度↓、ステルスジャンプため時間↑、安全シューズのダメ↑速度↓
アップデートでガチヤグラが導入される。さらにダイオウイカがはじきやすくなる、安全シューズ・イカニンジャ・ステジャンが弱体化するなどの調整がはいった。(安全靴は敵インクでもガンガン歩ける壊れ仕様だったから仕方ないね) 安全靴一強は崩れるかと思ったが、そんなことはなくしばらくの間とりあえず安シュは続く。ダイオウもはじきやすくなったとはいえ、まだまだ強いので今後も弱体化される。
このころは、たしか胎児ブームでスシコラが異常に流行ってた気がする。あとはダイオウも強かったからロラコとか。96凸は登場したばかり。チャージャーはスコープ付きも登場し、少しずつテクニックが開発されて(ジャンプ撃ちとかポジションとか)使い手は増えてきていた。
8月
アップデート情報
追加 タッグマッチ・プライベートマッチ・ランク上限50・SとS+帯、新ギア、BGM、第4回フェス(キリギリスVSアリ)
ステージ ヒラメが丘団地
ブキ パブロヒュー、ロングブラスター、バケットスロッシャー、バレルスピナー、14式竹筒銃・甲、L3リールガンD
調整 スペシャルの塗りポイント、デカラインをはじめとするステージの改修
初の大型アップデートがはいる。タッグマッチ・プライベートマッチ・ランク上限50・SとS+帯が解放された。タッグマッチ・プライベートマッチができるようになったことで、友達やフレンドといっしょにプレイしやすくなった。(以前はレギュラー合流だけだった)ランク50やウデマエSが解放されたことで、新たな目標ができ、みんなガチマやタグマにこもっていたと思う。りんごもちぃが全プレイヤーで最速カンストを達成して有名になった。(勝って+1~2、負けると-6~8の中、勝率92%とか頭おかC)一気にガチマで防御96凸を持ったもちぃキッズが発生した。ガチホコバトルの解禁、バケットスロッシャー、バレルスピナーという新しいブキカテゴリーが追加されたのもこのアプデ。
有名なチーム
UK
胎児、しゅーとん、りょぼ、ギコの4人チーム。4人全員が圧倒的な強さで、その人気は絶大。U Kidsの名の通り、多くのキッズを生み出した。
FPSのようなVCでの連携を広めた功績もある。当時は淡々と報告をする姿から、軍隊、歯医者のようだと言われていた。
たいじさん 8月まで声なしで、今のイメージとはかなり違った。スシコラを使っていて、潜伏からのキルや修正前スパショで、華々しいプレイを見せていた。「〇〇やり」
しゅーとんさん リッター系統を使うUKの司令塔。当時から報告を徹底していた。
りょぼくん 今もOPENRECでPUBGなどをプレイしている。当時はロラコロをメインにシューターも使っていた。
ギコさん 52ガロンやバレルスピナーなどシールドを持ったブキを使っていた。シールドのの使いかたにいち早く注目した人で、のちに14式竹筒銃・甲も使っている。「竹で無双したい~」
他にも、ANA・Lond・.Regenとかのクランが多かった。
★今との違い
始まったばかりで全体的にレベルがひくい
スシコラは攻撃力も高く、スパショの初弾も早い、当時のブキの中では塗りの強い部類だった
防御安全靴の96ガロン凸が多かった。攻撃力も高かったので筋肉がいらず、スシコラをメタるための防御。
ダイオウイカへの対処が確立されてなく、吐かれるとほぼやられていた。6秒で終わりの硬直もなかったので。
安全靴一強。ステジャンはまだまだ注目されておらず、沼ジャンだらけ。ロラコラがお手軽強ブキとして鳴らしていた。
ダイナモが活躍するのはこの少しあとだが、フクのギアはマキガが多かった。リッター多かったし、スーパーセンサー12秒、マキガで3秒とかいう仕様だった。
ギコさんやもちぃの研究により、最初は見向きもされてなかったシールドが一躍人気に。調整前の耐久・坂シールドは強かった。
当時の流行りの編成は
スシコラ・リッター・ロラコラ・96凸のような編成。今にして思えば、塗りが弱すぎて終わってるが、塗りより対面のキル力!という風潮だった。
アップデート情報についてはWiki参照
アップデート履歴 – スプラトゥーン(Splatoon) for 2ch Wiki*
まとめ
スプラトゥーン黎明期を簡単にまとめてみました。残り3期と全体のまとめの全部で5つの記事で完成させる予定です。なにか意見があれば気軽にツイッターやコメントまでお願いします!