噴水は自然を克服した存在?西洋的自然観における神と人間と自然

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こんにちはとーかです。

みなさん「神になりたい」と思ったことありますか?

デスノート 夜神月

全知全能の神ゼウスとか、海を治めるポセイドンとか、犯罪者を粛正する新世界の神とか。

なんでもいいんですけど、日本人はあまり神になりたいと思うことはないんじゃないかと思います。そもそも神の概念を意識することが少ないです、無神教の人が多いので。

逆にヨーロッパ、キリスト教の考えが根付いてる地域は、神の意識が強いですよね。何かあると神に祈ります。スポーツ選手もよく十字をきります。

 

西洋的自然観とは

ここで西洋的自然観のお話をします。

西洋では、自然を支配する対象とみなします。人間は自然と対峙し、自然を支配・管理する存在であると。

つまり、人間と自然を敵対するものとみなすわけです。そして自然を支配する究極の存在が「神」、人間はいかにして神になれるのか、という思想が西洋の根底にはあります。

どうです?日本人にそんな感情はあまりないと思います。

 

噴水は自然の克服?

こうした観点で、西洋の文化を見ていくとおもしろいなというのが最近のマイブームです。

タイトルにもありますが、噴水なんかはわかりやすいと思います。

水は本来上から下に流れていくものですね。水の恵みは人類に必要不可欠ですが、ひとたび氾濫すると全てを洗い流す恐ろしい存在でもあったわけです。そんな人間と相反する自然を代表する”水”。そんな水を支配しようとしたのが、水を下から上に噴き上げる「噴水」だったのではないでしょうか。まさに自然を克服した象徴だったのかもしれません。

日本には、噴水のような文化はありませんよね。「鹿威し」も流れをせきとめるくらいで抗うことはしません。

 

 

ちょっと西洋的自然観に興味でてきませんか?

こうした考え方を理解すると芸術もおもしろくなってきます。僕も芸術わかるようになりたいので、勉強していきたいです。

ありがとうございました。

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