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先日こんな記事を読んだ。とても衝撃を受けた。
要約すると、
東大に合格することを目的とするAIの開発チームの方が子どもの読解力の低下を憂う記事だった。
これを読んで思ったことを述べていきたい。
AIの文章の読み方
現在のAIでは、本当の意味で”文章を読む”ことはできない。ロボットの読み方は、文章に散らばる「キーワード」を拾って検索を用いて「パターン」として認識するやり方だそうだ。
例えば、「徳川家康は( )年の関ヶ原の戦いで、石田三成らの西軍を破った」の( )に何が入るか。
この答え 1600年 をAIは
”徳川家康” ”関ヶ原の戦い” などのキーワードを拾って、膨大な情報を検索にかけ、そこで頻繁に登場する ”1600年” がいちばん確率的に高いと判断して答えている。
決して、文章の意味を理解しているのではないのだ。
AIより読めない子どもたち
とまあここまではいい。AIの開発は大変なのだなあと思うくらいだ。
しかし、この東ロボくんの2016年のセンター試験模試の国語の偏差値は49.9。
つまり、AIの国語力は受験生のちょうど平均ということがわかったのだ。
文章の意味が全く理解できていないAIより、テストで点が取れない高校生がおよそ半分もいる。
この高校生たちは文章の意味を理解できているのだろうか?
読解力をはかる「リーディングスキルテスト」の予備調査によると、
約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、
約2割は、基礎的な読解もできていない
ということが分かった。(元記事参照)
これは大きな衝撃だった。
日本人の識字率は世界でもトップで、しかも漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットを操るリテラシーの高い集団ではなかったのか。
現代の子供たちは、ネットやスマホも普及し、文章に接する機会は増えているはずではなかったのか。
どうやら認識を改める必要がありそうだ。
”字”が読めても、”文章”が読めない人は思ったより多いのだ。
私は、高校生に勉強を教えるアルバイトを長くやっているが、上記の考えに至ると思い当たる節が多くでてきた。
例えば、生徒の多くは問題を解き、解説を読んだがわからないといって質問してくる。
私が解説を読めば、ちゃんと理解できる内容が書かれているし、それを口頭で説明すると程度の差はあれど、生徒も理解してくれる。
今までは、解き方を知らなかったから、勘違いしていたから分からないのだと思っていたが、もしかしたら、彼らの多くはひとりでは正しく読むことができないのかもしれない。
そうなってくると、読解力が低いことによって、他の教科の勉強にも問題が生じていることになる。教科書の内容が読めない、解説も理解できないのであれば、独りで勉強することは不可能だ。
「解説をちゃんと読めばわかるはず」とか「授業より自習の方が効率いい」とかいうのは、読解力のあるひとにしか通用しないものだったのだ。
大人も読めてない
読解力の低下は子供に限った話ではない。そもそも高校3年生でセンター試験模試を受ける集団の平均がAIと同じなのだから、全国民となるとさらに恐ろしい事態だ。
大人になっても読解力を身につけていない人は相当数いると考えられる。
実際、ツイッタ―なんかをやっているといろいろな人のツイートを見るのだが、「読めてない」人は多い。
自分にとってわかりやすい「キーワード」だけを拾って、そのキーワードから連想される”自分の中でのイメージ”で相手の意見を”想像”し、攻撃している人。これは典型的なAI思想だろう。
こういった人たちは、学校で読解力を身につけれず、その後も習得する機会がなかったのかもしれない。
読解力がないとどうなる?
そもそも、なぜ読解力がないと困るのだろうか?
国語の点数なんか取れなくても生きていけてる!という人もいるだろう。
しかし、生きていくうえで読解力、つまり”だまされない力”は重要だ。
例えば、契約書にサインするとき。
小難しい文章が長々と書かれていて辟易とする人も多いだろうが、契約書はちゃんと読まないと悪意のある相手だとだまされるし、そんなつもりのない相手でも自分の思っていた内容と違ったりすることもある。
ちゃんと読んで理解できれば、事前に気付くこともできるはずだが、そもそもいくら読んでも読み取れない人だった場合、だまされ放題だ。
役所の書類に保険、賃貸など、生きていくうえで書類を避けては通れない。
そんなたいそうなことでなくても、何かを買ったときに、説明書が理解できなかったら使えない。教科書が読めないのだったら、仕事のマニュアルも難しいだろう。ネットで検索しても、散らばる情報を読めなければ意味がない。
世の中には、人をだまそうとする人が多い。詐欺や宗教、悪意がなくてもマルチ商法や政治家など、言葉巧みに誘惑してくる。
そこで、怪しいところに気付けるか、矛盾を指摘できるか、きっぱりと断ることができるのかは、読解力しだいだ。
人にだまされないように生きていくために、もっと真剣に読解力を考える必要がある。
AI思想ではAIに勝てない
テストくらいのことなら、AIのようにキーワードからパターンを識別して解くやり方が有効かもしれないが、その方法では絶対にAIには勝てない。膨大な情報を検索して、一瞬で計算するコンピュータに人間が同じ方法で挑むのは愚の骨頂だろう。
近い将来、人間のやっている仕事もロボットに置き換えられてしまう。 産業革命より激しい仕事の変化がいずれ訪れる。
そうなってしまったときに、劣化コンピュータ人間に仕事はない。
AIに奪われる職、AIによって生み出される職、それらに対応するためには”人間としての力”を身につけていかなければならない。
AIに関してはこの本が非常に分かりやすかった。
AI開発の歴史や学習法・ディープラーニングなどを解説してある。ぜひ一読を。
センター試験の国語で120点が云々という話からここにたどり着きました。
とても面白い話でしたのでダラダラながらコメントしたいです。
センター試験の国語なんてと言うと人によってはとんでもなく上から視線のコメントと不快に思われるかもしれませんが
そこは悪しからず。
古文や漢文なら技術的な修練不足やその生徒さんの学習環境が高得点を取れない理由として考えられますが、こと現代文についてはレベルが決して難解とは言えないので七割前後は軽く取れるのではないでしょうか。
私はセンター試験が始まった頃に模擬試験を受けさせられていましたが、全く勉強していなかったのに現代文の合計百点部分は九割前後は取れていました。
因みに古文や漢文はきちんと仕組み等を習得していないと正答に導きづらいので共に八割くらいしか取れませんでした。
だから模擬試験では常に170点少々しか取れなかった。真面目勉強していた友人たちは軽く180は取っていたものです。
これは別にセンター試験の模擬試験程度のことを自慢しているのではないのです。怠け者で受験をなめていた高校生ごときでも特に現代文部分なら苦労せずに得点できると言いたかったのです。
九割が八割でもよい。そこらの幅はあってもよいのですが、いずれにせよ特別な技術を求めてもいないセンター試験の現代文パートで単純換算して六割なんてことはあり得ないのではないでしょうか。
というのも国立大学を受験して合格したい生徒が、より面倒くさい二次試験で高得点が取れないからこそセンター試験で
得点の『嵩上げ』的なことをしてって面があるんじゃないですかね?
旧帝国大学や一橋や横国大といった難関国立大学をチャレンジする受験生にそもそもセンター試験なんてものは不要なくらいでしょう。受験生が東大等に記念受験殺到なんてことを避けるためのふるい分け的な面もあるのかもしれませんが、とにかくセンター試験というのは別に難問を押し並べて生徒たちを苦しめるものではないですよ。
私の亡き父親なんてのは敗戦世代の貧乏育ちで学歴も中卒でしたが、さっさと公表されたモノを新聞を見ながら読み解いて共通一次やセンター試験の現代文は満点近く取れていたものですよ。
父親いわく『まともに小説とか新聞とか読んで生きていれば国語なんてたいていはできない方がおかしいだろう。取れないお前が手抜きをしているからだ』と。
実はここらに話の核心があるのだと思います。結局は基礎的な国語力なんてものは自発的に何かに関心を抱いて下手くそなりに真剣にその何かについて読み込んで理解しようと努めることからでないと
培われないのではないかってことです。
もの心ついた時から色々な小説などに触れてそれなりに考えつつ読むことをして暮らせていればセンター試験レベルで六割なんて結果に絶対にならないのです。
同じ物語、小説にしても小学生低学年レベルもあれば中学年レベル、そして高学年から中学レベルといった段階別となって小学生の図書室に置かれているものですよ。私も漱石の猫とか三国志とか小泉八雲の怪談に上田秋成の雨月春雨物語など、こうして読んで楽しんでいたものです。三国志なんてのは下の学年なら赤壁の巻きでおしまいだが、上級生になるとラストまで細かい文字で五百頁を軽く越える分厚いものがありました。
こうした話は英語が苦手な人が始めにラダーブックから読破するのにこれは近いものがあるかもしれません。
段階を置いて易から難に、より細かい背景を記したものへ読みこんで楽しむのは
子どものストレスになるどころか知的好奇心にプラスだとも思います。
漱石の猫なんてものを小さいうちからこうした流れで読んでいけば、センター試験で六割程度の高校生からしたら恐ろしいくらい『膨大で深い』知識が習得できるでしょうね。様々な分野についての注釈が半端ないのが漱石の猫ですもの。
センター試験で六割のみならず国語の得点が低いのには実は英語長文問題が読めても今一つ何が言いたいのか掴めないという生徒の悩みに通じるものもあるのではないですか?
背景(この国の首相はこれをセイゴと音読しましたが)に対する認識の欠如。
新聞をろくに読まないことも勿論ありましょうが、今述べた猫の小説でも菊池寛の小説でもよい。とにかく小説に出てくる様々な分野の話に関心すら抱かずに読み飛ばしているか、そもそも読もうともしないで暮らしてきたことのつけなのではないでしょうかね。
だから英語の場合、下線部の直訳はそれっぽくできても全体の流れなり長文のツカミがきちんとできないままモヤモヤして高得点にたどり着けないなんてこともあるのではないでしょうか?
国語でも英語でも長文を読みはじめてすぐに例えばこれはバイキングの制服の歴史についての考察なのだなとか頭にピンとくる生徒とこない生徒とでは読解速度に差がつくでしょう。
AIというのはひたすら関連事項などに焦点を当てて合理的な解答を当てはめてくるようなことを記されていたと思いますが、そこは少し似ている所もあるかもしれません。機械と異なりこの場合はもしかしたら⚪⚪について指摘してくるかも
とか▽▽について問題提起してくる展開かもと楽しみつつ長文読解できるか?
そして何となれば⬜⬜について▲▲の点から二百字以内で論じよ等といっためんどくさいタイプの問題を出されてもなんとかやれるかもしれない。ましてや真面目に修練すればなおさらです。
センター試験なんてものは今は知りませんが私の受験生時代、赤本でも唯一売られていた『早稲田大学の国語』みたいな
レベルの選択問題のレベルではない。
かなり偏差値の低い北九州大学みたいな公立大を受ける時にも必修なものに過ぎません。
そうした大学をバカにしているのではなく(本気で学ぶなら極端な話、無受験の放送大学でもそこらの難関私立大の一般教養水準よりも丁寧なものが学べますし大学入試で合格したら最後、全く勉強しなくなって頭をダメにしているヘボ学生どもよりも放送大学で真面目に頑張っている人の方がまっとうでしょう)それだけ決して難解なものではないということです。
それで現代文パートで高得点を取れないというのは、別のどの分野とも異なり特別な解法習得トレーニングも必要としないのに六割なんていうのは子どもの頃からの生き方に問題があるからと思えてなりません。
つなぎことばとこそあど言葉の使い方。
説明文ならどこに主張段落を置くのか。
具体例は主張という文章の骨の前後に
作るもの⇒段落毎の読み方の工夫。
ひらがなの使い方に注意して読むこと。
くらいだけ問題集などで勉強する以外
特別に学ぶことはないと思います。
そういうことは遅くとも義務教育で完了することなので(ましてやセンター試験に限らず常用漢字を大学入試受験したい者が問題集でしこしこ学ぶなのてナンセンス。あれは中学生で真面目に汗をやっていればバッチリ済む話です)あとはそれこそ技術の習得が左右する(それも習得の後には基礎的な国語力だけど)古文や漢文をやればよいだけです。
ここで脱線。
漢字(それはあくまでも百点満点に調整するためのおまけ的なものにすぎないもの)で思い出しました。
私が受験した頃のメチャクチャ倍率も高くて私立大人気のおかげでますます高偏差値になった明治大学文学部国語の過去問、漢字なんてこんなレベルでしたよ。読みの問題で、
『強ち』
『認める』
どうみても小学生レベルの雑魚問題に見えますが意外と正当できなかったとか。
要すれば英語訳作業で知らない単語が出てきても前後の流れからアタリをつけて考え出すことさえできれば×にはならないというのと同じことですよね。
それができない。
そういう要領も試されているだけなのに
そんなことのためにわざわざ漢字の問題集購入してロボットみたいに暗記していくのか?バカらしいですよ。
そんなのは公立中学生時代までに手に少しはペンだこができるくらい常用漢字などに向かってこなかったツケですよ。
読み書き算盤ならぬ計算くらいは小さいうちに身体を使って叩き込んでおかないとたいていの社会で通用しないでしょう。
センター試験で六割程度しか取れない大学入試チャレンジャーたちに欠けているもうひとつのこと。
より幅をつけるために理科でも社会でも様々なジャンルのものを真面目に読んで(時には友達とも)話し合ったりすることではないでしょうか。
そういう経験のなさがこうした珍妙な現象を産み出しているのでしょう。
新旧に関係なくこれまた様々なジャンルの映画を観ること。これもボディーブロウのように基礎的な国語力の差異を形成していくものではないでしょうかね?
元来映画というのは識字率の低い社会でも映像で分かりやすく名作を楽しむことで『啓蒙する』面もあったのです。
大衆が『風と共に去りぬ』の原作を真剣に読破していたものでしょうか?
チャップリンみたいな人が社会や政治の諸問題を面白おかしく風刺しつつも啓蒙していたことなどを考えても映画というものは楽しみながら物事を考えるきっかけを作るものになっていると思います。
以上、特に文章構成も気にしないでダラダラとコメントさせて頂きました。
私もろくな国語力ないのでしょう(笑)。
これまた悪しからず。
背景ではなくて背後でした。
いくら安倍さんでも『景と後』の
識別くらいはつくでしょうからね。
とはいえ、先日も新天皇皇后に
『健康を願って已みません』を
一瞬口ごもった後に『いません』
と音読しました。
あれも国語力がある人なら
『願っていません』と読むと
失礼きわまりないぞと気づいて
嘘でもよいから『おります』と
言いくるめることでしょう(笑)。
ましてやスピーチに演説と
大多数の人々を前に話すのが
商売の政治家さんならですよね?
安倍さんの遠い学生時代の思い出に
未然連用終止連体已然命令という
呪文が残っていて、思わず
『いません』と音読したのかも?
ま、国語力ゼロというよりマイナス
の塊みたいな人なのは確定です。
云々をデンデン
背後をセイゴ
そして新天皇皇后を目の前にした
中継で『願っていません』だもの。
おそらくはひたすら活用形ばかり
呪文みたく暗記してごまかして
学生時代を過ごしたのかもしれない。
なぜ未然というのか?
なぜこれは終止形になるのか?
といった若干の知的努力なんてことを
してこなかったから現在に到るのかも。
バイキングの制服
⇒征服(笑)。
これがコンピューターのダメな点?
もしこれを手書きで記しなさいとなれ
ば殆どの人が征服なんて記入しないと
思いますよ。
コンピューターが征服を瞬間的に選択
して画面上に出す。
人間がついついそのミスを読み飛ばす
から訳の分からない誤字や脱字の連発に
なる。
こうしてネットがもの心ついた時から
ある人の漢字習得力を落としていたり
して???
といっている先に
征服なんて記入しないと思いますよ
と記入している私(笑)。
本当にAIというのかな?
お利口さんですね。
バイキングの制服の歴史
ではなくて
バイキングの征服の歴史
です。
やれやれ。
めんどうついでに確認の確認。
そもそもミスったところは
正しくは
殆どの人が制服なんて記入しないと
思いますよ。
コンピューターが制服を瞬間的に選択
して画面上に出す。
⬇
と記入しないとこの場合、論理的で
ないですね。
記入していて勝手に制服だの征服だの
と瞬間選択していくAIに呆れてきた。
こういうことは手書きならあり得ない
幼稚なミスですよ(笑)。
正しくはと記そうとしたら
いきなりカタカナでタダシクハと
電報みたく選択してきたりとか
意外とバカじゃないのかと?
おそらくネットの世界で出鱈目な言葉
が飛び交うのも真面目な文のやり取り
ではないからとドンドンラフになって
いったからなんでしょう。
子どもに良い影響なさそうですね。
アナログだが
絶対に読み書き算数は手書きに徹する
を勧めたいものです。
使っていらっしゃる二重ヒゲカッコが全部ヒラキ+トジでなくトジ+トジになっていますよ。欧文のコーテーションマークと間違えておられませんか?